「楊家将」ゆかりの楊家城址、23年陝西六大考古新発見に
【新華社西安2月6日】中国陝西省で2日、2023年の省六大考古新発見が発表され、北宋時代に愛国の士として活躍し、後の世に「楊家将」と呼ばれた楊一族がかつて駐屯した神木市の楊家城址も選ばれた。
楊家城の甕城(おうじょう、城門の防御施設)外角台の床タイル。(資料写真、西安=新華社配信)
城址は神木市店塔鎮楊城村北西の黄土丘陵地区にある。地理的位置と年代考証から唐宋時代の麟州城だとされ、2006年に第6次全国重点文物保護単位(国宝・重要文化財)に選定された際に「麟州故城」と命名された。麟州は唐宋時代における北西辺境の要衝で、名将楊業(よう・ぎょう)一族はこの地で生まれ育った。
楊家城4号建築遺跡。(資料写真、西安=新華社配信)
同省考古研究院の邵晶(しょう・しょう)研究館員によると、今回の楊家城跡の考古学調査では新たに北城を発見。城壁の向きが明瞭で、城内の遺物の多くが宋金時代のものであることから、既に見つかっている東城、内城、西城とほぼ同時期だと考えられる。今回の発見により、楊家城は東城、内城、西城、北城がそれぞれ独立しつつも相互に関係を持つ小城を形成し、城内の面積は約70万平方メートルであることが分った。城の周辺では北宋時代の蕃将(異民族出身の将軍)高世忠(こう・せちゅう)一族の墓地が見つかったほか、秉義郎(へいぎろう、宋の官名)徐徳(じょ・とく)の墓誌などを収集。楊家城が北宋期の重要な城だったことを裏付けた。
楊家城の1号導水溝。(資料写真、西安=新華社配信)
発掘調査では磁器や陶器、石器、建築部材、貨幣など大量の遺物も出土。陶磁器は唐宋時代の典型的な特徴を持ち、貨幣の年号と漏沢園(ろうたくえん、貧民・無縁者の共同墓地)の墓誌の紀年はいずれも北宋以前だった。城壁の高さと厚さ、多重の城壁、武器の多さ、「官」字入りレンガ、漏沢園墓誌などは同城が唐宋時代の重要な官城で、軍事的性格が際立っていたことを示しており、地理的位置や文献、文字が残る遺物を総合的に考証すると、城は唐宋時代の麟州城であり、北宋が北西部を支配下におき、遼や西夏を防ぐための重要な防壁だったと考えられる。
2023年の陝西六大考古新発見には楊家城跡のほか、寨溝遺跡(楡林市清澗県)、陶渠春秋「京」邑遺跡(韓城市)、下站(かたん)遺跡(宝鶏市)、漢唐漕渠・昆明池遺跡、北城村墓地(西咸新区空港新城)が選ばれた。(記者/楊一苗、梁愛平)
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