悠久の地で「ニワトリ神話」のルーツに迫ったら足跡化石が揃い踏み!
日本の平城京や平安京のモデルにもなった唐王朝の都・長安が、現在では西安(シーアン:Xi’an)と呼ばれていることは多くの人がご存知だろう。
この西安を擁するのが、華北の内陸部に位置する陝西(せんせい:Shaanxi)省だ。
陝西省は遠く紀元前11世紀に周王朝の首都・鎬京(現在の西安市近郊)が置かれて以来、秦王朝の咸陽、前漢・隋・唐の長安など歴代王朝の首都が置かれてきた、古代の中華文明の中心地だ。ただし時代が下ると政治経済の環境が変化していき、各王朝の首都は西安付近よりも交通の便がよい大陸東側の地域に置かれるようになった。
現在の陝西省は、中国の省級行政区31地域のGDPランキングで15位と、経済面ではいまいち存在感がない。近年は習近平の父親の故郷である関係から政治的に重要な地域になったとはいえ、国際的な知名度がある西安を除くと、総じて地味な印象が強い内陸省である。
しかも、実は陝西省は恐竜事情も地味である。
同じく古代の王朝時代以来の歴史を持つ地域でも、近隣の寧夏回族自治区からは世界最古の新竜脚類であるリンウーロン(Lingwulong:霊武龍)、甘粛省からはアジア最大級の竜脚類ファンへティタン(Huanghetitan:黄河巨龍)という近年の中国恐竜界のニュースターが続々と見つかっているのだが、陝西省からは彼らに匹敵するほどのメジャー恐竜はまだ見つかっていないのだ。
とはいえ、悠久の中華文明を育(はぐく)んだ黄色い大地の下からは、いぶし銀の化石発見が報告されている。今回の記事で追いかけてみることにしよう。
恐竜足跡化石、中国最古の発見例
陝西省で目立つのは恐竜の足跡化石の発見だ。その研究史は古く、なんと中華民国時代の1929年に、北東部の内モンゴルの境界地帯にある榆林市神木県(現在は神木市に昇格)において中国で最初の恐竜足跡が発見されている。
この化石を発見したのは、もはや本連載ではお馴染みの中国恐竜学の泰斗・楊鐘健(C.C.Young)だった。
当時まだ32歳だった楊は、フランス人のイエズス会司祭で古生物学者だったピエール・テイヤール・ド・シャルダンとともに陝西省北部の地層を調査。もともとは新生代の地層を調べる予定だったのだが、神木県東部の山地でジュラ紀の恐竜の足跡を発見したのである。
「とんでもない」扱いをされた足跡
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「恐竜大陸をゆく」陝西で足跡探し!
余談だが、楊の足跡発掘の相棒であったピエール司祭は、カトリックのイエズス会士にもかかわらず進化論を受け入れて古生物学に没頭した人物。彼は中国に長く滞在し、北京原人の化石発見に関係するなど中国の古生物学の進歩に多大な貢献を果たしたが、バチカンやイエズス会からはその進歩的な思想を危険視されていたという異色の司祭であった。
さておき、こうして楊とピエールによって発見された足跡化石はやがてドイツの研究者によって研究され、「楊の足跡」(Sinoichnites youngi)として学界に報告されたのであった。どうやら白亜紀のイグアノドンの仲間の足跡だったようである。
足跡化石が家畜のエサ皿に……
こうした陝西省の足跡化石が再び脚光を浴びるのは、21世紀を迎えてからのことだ。2011年には榆林市子洲県電市鎮王荘村で、採石をおこなっていた村民が「ニワトリの爪痕」に似た巨大な3本指の足跡が多数刻まれた岩盤を発見している。
ニワトリの、爪……? Photo by Getty Images
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もっとも、実はもともと同様の石は村の周辺でたくさん出土していたのだが、村人たちはこれが何なのか気に留めることなく、村内で家を建てたり道を通したりするなかで少なからぬ岩盤が失われてきていた。
さらにこの足跡の凹みが便利だからと、薬を粉にする石皿や石臼などに加工する、家畜のエサ用の皿に使うなど、これまで村ではかなりフリーダムに恐竜の足跡化石が利用されてきた模様であった。
しかし、やがて子洲県の黄土文化研究会の王軍という人物が、これらは太古の爬虫類の足跡化石ではないかと当たりを付ける。化石はやがて専門家によって調査され、1億8000万年~1億7000万年前のジュラ紀中期のものであると推測された。
引き続きおこなわれた調査では数十個の足跡が見つかったという。知らない間に家の壁や石皿にされてしまった化石に心が痛むが、この時期の前後から浙江省での足跡化石の発見は加速していく。
石炭の里で化石発見ラッシュが
結果、かつて楊鐘健が最初の足跡化石を発見した神木市も新たな発見ラッシュに沸きはじめた。もともとこの一帯は石炭が多く出る土地で、地質的な調査がなされることが多い。2017年には陕西省地質調査院の調査団が、神木市中雞鎮の白亜紀前期の地層で、恐竜の足跡3点、小型の四足歩行動物の足跡2点が残った岩を発見している。
ここで見つかった恐竜の足跡は、ひとつは竜脚類のもの。もうひとつは小型獣脚類のドロマエオサウルスの仲間のものとみられた。ほかの小型動物の化石は哺乳類のものであり、アジアでは最初に発見されたパターンの足跡だった。当時、これらの生き物は砂丘から小さな沼に向けて歩いたとみられている。
ドロマエオサウルス Photo by Getty Images
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さらに2019年6月には同じく陕西省地質調査院の調査団が、靖边県にある景勝地・龍洲丹霞での測量中に足跡化石を発見する。
そこで地質調査院は9月、北京から中国地質大学副教授で中国恐竜学の若きホープ・邢立達(Xing Lida)たちの研究チームを招聘。詳しい分析がおこなわれた結果、これらは1億年ほど前の、比較的体格が小さな獣脚類の足跡であると推定された。
陝西省北部、靖边県で見つかった足跡の化石 (「化石網」より)
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2019年9月20日付「新華社」報道上で邢立達が述べたところによると、往年に砂丘や砂漠湖があった地形から足跡化石が見つかることは比較的珍しく、当時の気候や地理・地質を知るうえで非常に意義のある発見であったようだ。
中国古代神話は陝西省の足跡化石がモチーフ?
古来、黄河流域を発祥とする中華文明では鳥類を太陽の象徴として崇める文化が存在し、特にニワトリは「天鶏」「金鶏」などの名で神格化されてきた。
6世紀の梁王朝時代に成立したとされる、自然や動植物の逸話集『述異記』などが紹介するところでは、こうした古代神話が伝えられている。
中国東南にある桃都山には枝と枝との間が三千里も隔たった桃都という大木が生えており、その樹上には天鶏という鶏がいて、朝に樹上に太陽の光が当たると鳴いて時を告げた。これに応じて下界の鶏がいっせいに鳴く──。
このような漢民族の神話は、古代王朝が本拠地を置いた陝西地域で成立したものも多い。
清代中期の天鶏尊 Photo by Metropolitan Museum of Art / Creative Commons
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近年の陝西省の化石発見を伝える複数の中国側報道は、陝西省のあちこちで見つかる恐竜の足跡化石が、前近代にはこうした巨大なニワトリの神話のモチーフになっていたのではないかという仮説をしばしば紹介している。
事実、前回記事で紹介したように、チベットでは岩に残された竜脚類の足跡化石が高僧の足跡だと考えられて信仰対象になった例があり、また中国道教の四大名山のひとつである安徽省の斉雲山で見つかった恐竜の足跡化石は、地元の人々の間で道士が手をついた跡だと考えられていたという。
化石の知識がない人たちが恐竜の足跡を見ると、なにか超常的な存在がこの世に残した痕跡であるかのように勘違いしてしまうわけなのだ。
そう考えてみると、人類が生きている時代にはすでに存在しない、数十センチもの大きさになる巨大な「ニワトリの足跡」が刻まれた岩が、中華文明揺籃の地で「天鶏」の神話を作り出していったとする仮説もそれほど荒唐無稽ではない。
陝西省の恐竜化石事情には、歴史ある地域ならではの楽しいエピソードが隠れているのである。
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