中国史の勉強になる旅行

こんにちは、西安金橋国際旅行社の担当者、倪と申します、皆様に日本語ガイド付きチャーター車ご利用して中国史の勉強になる旅をご紹介致します。何かご希望(ご要望・リクエスト)がございましたら、お気軽にxiaojunn@gmail.com までお声をおかけくださいませ。

世界遺産・絹の道、東へ続け 日韓「ルート延伸を」

世界遺産・絹の道、東へ続け 日韓「ルート延伸を」

中国・唐とローマ帝国をつないだ古代の交易路「シルクロード」。その一部が2014年、「長安・天山回廊の交易路網」として世界遺産に登録された。これに続こうと、韓国、日本へのルートの延伸や、中国による「海のシルクロード」の登録を目指す動きが具体化している。


 古代国家・新羅の都があった韓国・慶州で昨年12月、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の国際会議が開かれた。各国の研究者ら約150人が世界遺産の登録などについて話し合った。テーマは「東方のシルクロード」。この場合の「東方」は中国よりさらに東の韓国と日本のことだ。


 シルクロード(絹の道)は、中国の長安(現在の西安)からローマを結ぶ交易路の総称。14年には洛陽・長安から敦煌などをへて、中央アジアに至る計8700キロ、33の遺跡群が世界遺産に登録された。中国、カザフスタン、キルギスによる共同申請だった。


 ユネスコのアジア・太平洋地域の拠点であるバンコク事務所の金光祚所長(韓国出身)は「一昨年の世界遺産登録は中国・西安までだったが、できれば韓国や日本を含む東へと広げるのが目的。かつてのシルクロードのように国境を越えた多彩な交流を復活させたい」と会議の目的を説明する。


 韓国では、ペルシャなどの西域の文物が新羅の遺跡から出土し、シルクロードは長安で終わらず慶州まで到達していたとする見方がある。一方、日本では、やはりシルクロード経由でもたらされた西域的色彩の濃厚な文物が、奈良の正倉院に伝来していることから、「奈良こそがシルクロードの終着点」と考える研究者が多い。


陝西省に伝わる民間戯曲「華陰老腔」 春晩出演で後継者見つかる

陝西省に伝わる民間戯曲「華陰老腔」 春晩出演で後継者見つかる

国家級の無形文化遺産伝承人である張喜民さんとその仲間は、今年の中国中央テレビ(CCTV) の「春晩」(春節を祝う中国の国民的年越し番組で、日本の紅白歌合戦に相当)で、民間戯曲「華陰老腔」を披露。一夜にして「時の人」となったものの、このほど上海の梅隴文化館で張さんを取材してみると、有名になったことよりも、春晩に出演したことで、孫が後継者として名乗りを上げたことに最も喜んでいた。解放日報が報じた。


華陰老腔は、前漢(紀元前206年- 8年)の時代に兵士らを鼓舞する音楽として生まれた。張さんの実家である、陝西省華陰市衛峪郷双泉村はかつて、その華陰老腔が最も盛んな場所だった。華陰老腔の十代目継承人である張さんの家にある台本は、乾隆(1711—1799年)の時代にまで遡ることができる歴史あるもの。華陰老腔は、人気歌手の譚維維(タン・ウェイウェイ)とコラボできたことで、ネット上で大きな話題となり、春晩でその人気が最高潮に達してラッキーだったという声もあるが、張さん本人に出会うと、「一夜にして大ブレーク」という見方は消えた。張さんは、華陰老腔の発展や自分がそれを学んできた過程、伝承の現状などを生き生きと語ってくれ、その弁舌は、新人芸能人の80%より優れていた。


孫が後継者に名乗り


2千年の歴史を誇る華陰老腔は、張家では、男性だけに継承され、女性には継承されてこなかった。しかし、張さんの世代の時には、性別や家系などが問題になることはなかった。昨年、現地の文化局は、1年間続く華陰老腔の教室を開き、1週間に2日、受講者が華陰老腔を学んだ。うち1日は張さんが教壇に立つ。ただ、受講者のほとんどが中高年者。「飲み込みはおそい。でも、少なくとも、華陰老腔を伝えられる」。


春晩に出演すると、張さんのもとには多くの問い合わせが来るようになった。しかし、張さんを最も喜ばせたのは、孫の張猛さんも習いたいと言ってくれたことだという。猛さんがまだ10歳だった2005年、張さんは華陰老腔を教えたいと思ったものの、「あまり興味を示さなかった。でも、今年の春晩を見て、突然、真剣に習いたいと言い出した」という。張さんは、華陰老腔の後継者に関してずっと焦りを感じていたものの、全ての状況を甘んじて受け入れなければならないとも考えていた。そんな時に、孫が自分から習いたいと言ってくれて、張さんは何か肩の荷が下りた思いを感じている。


後継者が見つかっても、張さんは華陰老腔の普及に今も力を注ぐ。梅隴文化館を取材してみると、張さんらは、陝西省から皮影や酒壇、長い腰かけなどの小道具を持ちこみ、観衆に本物の華陰老腔を楽しんでもらっていた。(編集KN)


「人民網日本語版」2016年3月8日