地下に掘り込まれた中国の伝統的住居「地坑院」を見てみよう
中国河南省の北営村、地下に掘り込まれた伝統的住居「地坑院」。この地区では、多くの地坑院が改修され、観光名所となっている。
中国北部には、「地坑院」と呼ばれる地下に掘り込まれた伝統的住居がある。
これらは洞窟住居の一種と考えられている。
現在も人が住む地坑院もあるが、多くは観光地化されている。
中国北部には、地面に大きな穴を掘って中庭を作り、その周りに部屋を配置する住居がある
地下の中庭に面した部屋への入口。
これらの住居は北京語で「地坑院」と言い、「地下の中庭」を意味する。中国北部の黄土高原によく見られる洞窟住居(窰洞:ヤオトン)の一種だ。
「文献によると、地坑院は約7000年前に誕生したとされている」と、シンガポール国立大学東アジア研究所の非常勤上級研究員である林大偉(リム・タイウェイ)はInsiderに語っている。
「これらは黄土高原の地形に適応した民家の一種と考えられている」
これらの住居が掘り込まれた黄土高原の土は、断熱効果が高く、住民は冬でも暖かく過ごすことができる
さらに重要なことは、黄土は軟らかくて掘りやすいだけでなく、支えがなくてもしっかり固定されるほど頑丈だということだ。
「中国国外の学者には、この住居が厳しく長い冬、焼けるような暑さの夏というこの地域特有の気候に適応したものだと考える人もいる」と、林は言う。
地坑院を建築する過程で、レンガやタイルは使われていないという
中国河南省三門峡市陜州区にある地坑院群を上空から捉えた様子。
中庭の大きさはさまざまだが、12メートル四方ほどになることがある。
中庭の深さは6メートルから10メートルで、その四面の壁を掘り込んで部屋を造る。
「室内は石や土壁、柱で補強されている場合もある」と、林は述べている。
住居が複数集まると村になるが、そこでは地上からは住居の姿が見えない。
中庭の側面にはスロープが切られ、住民が住居から地上へ容易に移動できるようになっている。
伝統的に、これらの住居に住んでいた人々は、民族や方言の違いではなく、社会階級によって分けられ、ほとんどが農民だったと、林は文献を示しながら述べた
河南省の地坑院。
「歴史のある時点ではこれらの地坑院に何百万人もの人々が住んでいたが、空間をどのように共有するかについては個人差があるため、1つの部屋あるいは住居全体に何人で暮らしていたのかは不明だ」とも林は述べている。
これらの住居は数千年前から存在するが、中国政府が国家級無形文化遺産として登録したのは2011年のことだった
河南省三門峡市狭州区北瑛村にある伝統的な地坑院を訪れる観光客。
河南省三門峡市狭州区を中心に、多くの地坑院が修復され、観光地として生まれ変わった。「中には近代的なホテルを建てた開発事業者もいる」と林は言う。
今も人が住む地坑院があり、近代化されているものもある
河南省三門峡市狭州区の復元された地坑院を訪れる観光客。
2016年に撮影された写真を見ると、現在の地坑院でどのような暮らしをしているのか、イメージが湧くだろう
地坑院の内部で食事をする家族。撮影地は不明。
上の写真が撮影された正確な場所は不明だが、寝室、居間、台所が小さなスペースにうまく収められていることが分かる。
中国の黄土高原で見られる洞窟住居は、このような中庭のある地坑院だけではない。斜面や崖を掘って造られた住居もある
陝西省延安市郊外の洞窟住居の前で朝食をとる女性。
陝西省延安市の洞窟住居には、中国共産党の革命期に毛沢東とその盟友が住んでいたことで有名だ。
1950年代以降、毛沢東は特権階級の若者を農村に送り込み、農民の生活を体験させるという「上山下郷運動」を展開した。習近平国家主席も10代の頃は、洞窟住居で暮らしていた
習近平国家主席が10代の頃に、農民の美徳を学ぶために派遣された陝西省梁家河村で住んでいた洞窟住居。
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