「楼観台」は、「天下第一福地」、道教祖庭であり、老子の墓もあります
「楼観台」は、「天下第一福地」、道教祖庭であり、老子の墓もあります
終南山と言えば、俗世間から離れ隠棲する所という神秘なイメージが強いです。終南山は道教の発祥地として、歴代の多くの隠士に好まれています。世間に知れ渡った老子と道教の祖庭である楼観台で有名です。
楼観台の名の由来は西周の時代にさかのぼれます。伝説によると、西周大夫函谷関令の尹喜は終南山の麓に草などを使って楼を建て天象占いを行ったため、その建物が「草楼観」と呼ばれるようになりました。ある日、尹喜は東の空に紫雲がたなびくのに気づき、聖人のがここを通りがかると占い、ずっと見守っていました。その後、西の秦に向かっている老子を尹喜が草楼観に迎えました。老子は草楼観で五千言の『道徳経』を書き残し、草楼観の南にある高所に「説経台」と呼ばれる基台を作り講学をしていました。その後、草楼観と説経台は合わせて「楼観台」と呼ばれるようになりました。
「山不在高、有仙則名」の通り、老子、一字万解の名作『道徳経』、そして老子の道場によって名も知れなかった高さ580メートルしかない楼観台は今、世の中に知られるようになりました。
3000年近く流れていく歴史の中で、聖人の老子は既に水牛に乗っていずことも知れない処へ去ったのですが、現在の楼観台道教文化展示区は、周秦の遺跡、漢唐の旧跡、また美しい自然風景で有名な観光地になっています。老子説経台、尹喜観星楼、秦始皇清廟、漢武帝望仙宮、大秦寺塔、煉丹炉、呂祖洞、上善池など数多くの名所旧跡と緑に囲まれた山水の自然景色を見て観光客は名残り惜しく去り難い気分になるのでしょう。
終南山が自然の美しさで人を魅了しているのに対して、「天下第一福地」の楼観台は、森羅万象を陽と陰の要素によって成り立つことを示す太極の素晴らしさを呈しています。道教文化はこの幽遠な境地の魂です。楼観に上ると千年の松海の霊気に迎えられます。
説経台は老子が尹喜に『道徳経』を説明した場所で、終南山の北麓峰頂に位置します。現存の主要建築物は明清の建築物を修繕し再建したもので、敷地面積9432平方メートルもあります。正殿、偏殿、碑庁、厢房、回廊など古代建築物が146軒あり、道教を中心とする楼観台の主要建築群です。
説経台は、老子祠、斗姥殿、救苦殿と霊官殿の4軒の主殿と太白殿、四聖殿からなります。石の階段が山門から蜿蜒と台頂まで延びます。山門の西に石で作った上善池があり、石刻の龍首から年中水が流れてきます。説経台のあたりに、老子が霊薬作りに使われていた八卦形の煉丹炉、焼きを入れることに使われた「仰天池」、修行と養生に利用された「栖真亭」など、老子が生活した跡が多数残されています。聖人が立ち去った今は楼観だけが残されました。道教の奥義は「大音は希声なり」の通り、自然の山林や山に潜まれています。
説経台の東北に老子の墓があります。楕円形の墓で辺長4メートルの方形基壇に建てられ、敷地面積20平方メートルです。墓の前に清代の畢沅が書いた「老子墓」の石碑が置かれています。説経台の北へ1キロメートル離れた所に宗聖宮遺跡があります。九株の古い側柏が植えられています。千年の歴史を持つ側柏は今でも高くそびえたち、青々と生い茂っていて、現地の人に「楼観九老」と称されています。その中の一株は老子が牛を止めるために使われたもので、「系牛柏」と呼ばれます。木の下に元代の石刻牛があります。西南の隅にある3株の木の上に、羽ばたけ空飛ぶオオタカの様子に酷似するこぶが生えていて、「三鷹柏」と呼ばれています。
説経台の南に、海抜888メートルの煉丹峰があります。伝説によると、老子の霊薬作りに使われた炉は金炉と銀炉の2基あります。今頂上にある炉は明時代に建てられたもので、中にあった老子の石像が紛失されました。説経台から煉丹峰へ延びる道の傍に丹井、晒丹石があります。老子はここで水を汲んだり、霊薬を晒したりしました。長い歴史の中で石像も破損されたが、たくさんの人が拝観に来ています。頂上に立って眺めると、見渡す限り平坦な関中道に、田畑に道が縦横に交錯している風景が一望できます。
説経台の北へ1キロメートル離れた所に宗聖宮遺跡があります。老子が自ら植えた、樹齢2600年もある銀杏の木があり、世界四大古銀杏の一つに数えられます。20世紀の1970年代に一度火事に見舞われ中空になってしまったが、分厚い樹皮を通じて根から養分を吸収して今に至っています。青々と茂り、生気に満ち溢れ、強い生命力を呈しています。説経台にも樹齢810年の銀杏の木があります。高さ28メートル、太さ4.5メートルもある木の幹に桑の木が寄生していることから「銀杏抱桑」と呼ばれています。老子が自ら植えた銀杏の木と遠くから向かい合って楼観台の特色のある古木風景を生み出しています。秋は銀杏の木の見頃ですので、ぜひ見に来てください。
楼観台道教文化展示区内に重要な古代建築物である大秦寺が立っています。旧称景教寺で紀元650年に創建され、紀元745年に大秦寺に改名されました。唐貞観時代に、大秦国(古代東ローマ帝国)景教(古代キリストのネストリウス派)はペルシア(今のイラン)を経由し中国に伝来し、唐代初期の皇帝5人に礼遇で迎えられました。唐王の許可により長安城と周至など各地で景教寺院が建てられました。周至で建てたのは大秦寺です。紀元845年、唐武宗が廃仏運動を起こした時景教も禁止されました。大秦寺はのちに仏教信者の拠点になり、明清時代に僧坊が林立し仏教が栄えました。1622年、大秦寺でネストリウス派の教義や中国への伝来などを刻す『大秦景教流行中国碑』が出土し、現在西安碑林に所蔵されています。今の大秦寺に紀元781年に建てられた8層の唐代古塔があります。正八角形の形をする塔は歴史が長いため、ちょっと傾斜しています。
緑に囲まれた山の中で周秦漢唐の遺跡を鑑賞し、老子説経の余韻がまだ響いているように聞こえます。楼観台も、老子が自ら植えた銀杏の木も、説経の道場も残されている終南山で、中華文明の森羅万象を身をもって感じることができます。
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