中国歴史の勉強になる旅行

こんにちは、西安金橋国際旅行社の担当者、倪と申します、皆様に中国史の勉強になる旅を少しずつご紹介致します、
何かご希望(ご要望・リクエスト)もございましたら、お気軽にxiaojunn@gmail.com までお声をおかけくださいませ。

鄭西高鉄2等座車両と1等座車両

鄭西高鉄2等座車両

鄭西高鉄1等座車両

2等座車両より1等座車両はスペースが広く、ゆったりとしていますが、

料金は2等座車両より1等座車両は片道が125元1人ほど高くなっています、

往復なら一人250元ほど高くなります。

スーツケースについて、1等座車両や2等座車両も各車両の端には、

スーツケースなど大型の荷物を置くスペースも用意されています。


【中国に行ってみよう!】 第三回 西安篇——城壁

西安には城壁があります。

現存するものは、明代に唐の皇城跡に造られたもので、唐の時代の城壁の1/9しかないそうです。

それでも周囲は約14km、高さも約12mもある、大変立派なものです。

西安の咸陽空港から市内のホテルに向かう途中、城壁が見えてきます。

ああ、長安に来たなあと思います。

今、見ている城壁が唐代のものではないと分かっていても、場所が異なることがわかっていても、長安にたどり着いた遣唐使の気分を一瞬味わえます。

しかし、ああ長安だと、思った次の瞬間から、乗っているバスが止まり、気が付くと渋滞にはまっています。

城壁は西安のシンボルですが、これがあるために中心地の道路の開発に制限がかかり、城壁内を通る道はいつも渋滞。

予定していた観光ができるだろうか、夕食の予約時間に遅れないだろうかと心配が噴出し、いっきに現実に引き戻されます。

西安は何度も訪れていますが、毎回このパターンです。。。

この城壁の素晴らしいところは、城壁の上を歩けることです。

電動カートやレンタサイクルも利用できます。

なんと毎年、城壁の上を走るマラソン大会も開催されているのです。

戦闘のために作られた広々とした城壁の上は、今や、世界中の人が観光やマラソンを楽しめる憩いの場所に生まれ変わりました。

平和な時代に生まれてよかったとつくづく感じます。

私は城壁を一周はしたことがないのですが、東の長楽門から西の安定門まで4kmほどでしょうか、歩いたことはあります。

城壁の上は12~14mの幅があり、のんびりゆったり歩くことができます。

石の道なので歩きやすいとは言えませんし、ときどき穴も空いていて危ない部分もありますが、城壁の上から城内の街を覗いたり、鐘楼の写真を撮ったりしながら、季節の良い時期にブラブラ歩くのは、大変気持ちの良いものです。

旅の始まりは西門。旅の終わりも西門。西門はシルクロードへ続きます。

漢の外交使節として派遣された張騫は、うだつのあがらない小役人からの脱出を試みたのか、未知なる世界への憧れか、漢の武帝の求めに応じて、国の期待を背負って大月氏をめざし、意気揚々と西門を出発したことでしょう。

玄奘三蔵は天竺へ教義の原典を求めて密かに唐を出国。

西門から堂々と出たわけではないでしょう。

しかしながら、帰国時には太宗皇帝に手厚く出迎えられました。

太宗皇帝は国境近くまで出迎えの使者を出したそうですから、きっと西門では、国じゅうの人に歓迎されたことでしょう。

そんな物語に思いを馳せながら、西門の正楼にある土産物屋に入ります。

目的はショッピングではなくて、正楼にある窓から、西に伸びるシルクロードへの道を見るためです。

勇気と夢に溢れた青年たちの熱い思いに思いを馳せ、まっすぐ西へ伸びる道を見ながら、周囲に並ぶお土産には目もくれず、歴史ロマンに浸ります。

でも、売り子さんたちのセールスの声にロマンもかき消されちゃうのですね。残念。

本当の出発地点だった唐代の西門の場所には、記念の「絲綢之路起点群像」があるそうです。

現在の西の門の一つである玉祥門の、さらに3km西だそうです。

でも、やはり、城壁がある方がロマンに浸れますね。(渡辺直子)


2020年代の中国経済リスクと日中関係の展望 遣唐使の文化交流から日中経済ウィンウィン関係の新時代へ


サンタクロースの帽子をかぶったチョコレートの「兵馬俑(Terracotta Warriors)」


1.古都の地、西安を訪問


 4月7日から12日まで陝西省の西安市を訪問した。


 普段の経済調査目的の出張では中国の中央・地方政府関係者や日本企業との面談、経済開発区などの視察だけで観光地を訪問することはないが、今回の出張は日本企業の役員・部長級の研修への随行だったため、久しぶりに古都長安のいくつかの名所旧跡を訪問する機会を得た。


 西安には1992年10月の天皇皇后両陛下のご訪中(北京・西安・上海の3都市をご訪問)の際に北京大使館員として随行したため、現場の事前確認なども含めて何度か市内を歩き回ったことがあった。


 それ以後数回西安に出張したが、空海が修業した青龍寺、阿倍仲麻呂の記念碑のある興慶宮公園を訪れたのは24年ぶりだった。


 24年前には中国がこれほど急速な経済発展を遂げるとは全く予想していなかった。まして鄙びた地方都市だった西安が中国の経済発展をリードする主要都市になるとは想像もつかなかったことである。


 その西安の地で久しぶりに文化交流の旧跡を再訪し、2人の遣唐使の偉大な貢献に思いを馳せた。2人とは比較にならないにせよ、日中関係の改善と両国のウィンウィン関係の構築促進を目標として自分自身の努力を継続する思いを新たにした。


 今回の西安訪問時に面談したある政府関係者が、「日中関係はこの20年ほど難しい状況にある。しかし、その前の2000年はいい関係がずっと続いていた。


 遠くない将来に元の状態に戻るはずだ」と語ってくれた。私も期待を込めて、その見方に賛成したいと思った。